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《復活節第3主日》ティエン神父より
復活節第3主日 A 2026 ルカ24,13-35。 今日の第2朗読で聖ペトロは私たちの生活のために教えてくださいます。 「あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、 この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、 金や銀のような朽ち果てるものにはよらず」1ペトロ1,17-21 信者たち,皆一人一人の生活は直しましょう。頑張りましょう。 そして、今日の福音で弟子たちはイエス様の十字架の死を悲しみ、将来に絶望して、 エルサレムを離れ, 故郷での 、元の生活に戻ろうとしていました。また、ユダヤ人たちを恐れて生活していました。 そこへイエス様が目の前に現われ、弟子たちの信仰を再び支えられました。 皆さん、この世界に神様がおられず、神様のいつくしみがなく、私たちはさびしくて悲しいです。 神様の愛を感じないなら、人々は互いに軽蔑し、妬み、生活はつまらない、そして、憎しみ合うでしょう。 「イエス様一緒にお泊まりください。そろそろ


《復活節第2主日》ティエン神父より
復活節第2主日A 2026 ヨハネ20,19-31 (神のいつくしみ主日) 今日は、復活第2主日です。 同時に、今日も、神様のいつくしみの主日と呼ばれています。 神のいつくしみと言えば、神様はイエス・キリストを復活されました。イエス様は死者の中から復活されました。 このことについて、信じない人々のために大きな恵みです。この恵みといえば、神様のいつくしみです。 イエス様はトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸さいわいである」29 今日の福音の中でイエス様は私たちに3回「あなたがたに平和があるように。」と言われています。 皆さん、私たちの生活で、何が一番大切ですか。 平和です 。本当です。 平和がある時、私たちの生活はいろいろことができます。平和がない時、私たちの生活はぜんぜんできません。 お金がたくさんあっても、平和がない・・・たとえば:お金持ちで平和がなく自殺を選んでしまう人もいます。 本当の平和はお金では買えないと思います。平和は神様からいただく恵みです。 それで、私たちは毎日、神の平和を願い求めましょう。..


《聖土曜日》
聖土曜日 2026 イエス様は復活されましたので、私たちは喜ぶことができます。 私たちのカトリック信者にとって、復活の神秘は一番大切なことです。 どうしてでしょうか。このことについて聖パロウはコリント教会への手紙に書いています。 「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、 あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、 キリストを信しんじて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。 この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、 私たちはすべての人の中で最も惨めな者です。」(1コリント15、17-19)本当です。 復活することがないなら、もっともっと、さびしいです。残念です。悲しいです。 どうしてでしょうか。何年洗礼を受けました、そして、何年信者生活のために頑張りましたが結果は何もありません。 残念です、悲しいです。*亡くなった後どこへ行きますか。どこに住んでいますか。亡くなった後終わりますか。 復活することがないなら、この教会がありません。私たちは教会に来ない、司教、司祭、助祭、信者になりません


《ティエン神父より 聖金曜日 主の受難》
聖金曜日 主の受難 2026 今日、私たちは、イエス様の受難に沈黙のうちに招かれています。 ゴルゴタの丘のイエス様の孤独の痛み、裸の恥を受けることを私たちも心に深く刻むように招かれています。 イエス様は自分自身で苦しみを受けて、私たちへの限りない愛を示されました。 イエス様は私たちのために亡くなるという自分を忘れた、犠牲を行いました。 このことについて第1朗読で書いています 。 「彼が担ったのは私たちの病、 彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、 私たちは思っていた神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、」と。 「彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは 私たちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、 彼の受けた傷によって、私たちはいやされた。」Is 53,4-5 「多くの人の過ちを担い背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」Is 53、12 第2朗読で書いています 。 「キリストは御子であるにもかかわらず、 多くの苦しみによって従順を学ばれました。」


《ティエン神父より 聖木曜日》
聖木曜日のミサ 2026 聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日は過ぎ越しの聖なる三日間と呼ばれます。 1― 晩さんの中で、イエス様は弟子たちの足を洗います。 このことの意味は愛と奉仕をします。謙り人になることです。 *手と頭を洗わないか。足だけですか。これは私たちの体は一番低いところです。 これは下に屈むことは大切です。 イエス様は「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれました。」 この上なく愛し抜かれた意味は弟子たちと私たちのために命をささげ、 そして、イエス様は十字架の上で亡くなりました。 このことにイエス様の愛のことばが一番深く明らか表されています。 イエス様は私たちに言われます。 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、 皆が知るようになる。」Jn13、34-35. [これがわたしの掟である。」Jn15,12愛は行うことはことばだけでなく、実行しなければなりません。 私たちは神様の子供です


《ティエン神父より 枝の主日》
受難の主日A (枝の主日)2026 マタイ27,11-54 今日から聖週間に入ります。 聖週間に私たちはイエス様の御受難に沈黙のうちに招かれています。 ゴルゴタ の丘のイエス様の孤独の痛み、裸の恥、 そして皆の嘲りを受けることを私たちも心に深く刻むように招かれています。 イエス様は神の御一人子でありながら、自ら、苦しみを受けて、 私たちへの限りない愛を示されました。 福音で書いています。 「イエスが国民のために死ぬ。と言ったのである。 国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。」 *イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いています。 *愛の王と真理の王と平和の王そして仕えるの王です。 イエス様は政治家ではありません。しかし、世界を救いたいと望まれました。 皆さん、イエス様のことばは人間のことばが違います。 イエス様の考えることは人間の考えることを違います。 王であるキリストは人間の王様を違います。 人間の王様は宮殿があります。僕がたくさんあります。...


《ティエン神父より 四旬節第5主日》
四旬節第5主日A 2026 ヨハネ11,3-7,17,20-27、33-45 今日の福音中で神様は命の主について書いています。 私たちは死ぬことが怖いです。家族の中で、親戚の中である人が死ぬとき、私たちはとてもさびしくて怖いです。そして、私たちは死ぬことを考えて怖いです。 しかし、私たちの信仰はこのことを教えてくださいました。 この私たちの生活は、生きている時間はとても短いです。 死んだ後、私たちは、永遠の命を、得ることができます。 神様が私たちを終わりの日に復活させるからであります。 大切なのは、愛と親切と心です。神様に対して、他人に対しても忘れず大切にしなければなりません。 お金を最後の目的ではありません、ですから、天国に、もって行くことはできません。 しかし、私たちの良い行いと、良い仕事だけを、もって行くことができます。 それで、最後の目的は神様に天国で会いすることです。これは私たちの最後の目的です。 人間は恐れることがたくさんあります。苦しみ、死、失敗、病気、そして、さびしさを恐れることが あります。神様は私たちと共にいるとき、私たちは神


《四旬節第4主日》ティエン神父より
四旬節第4主日A 2026 ヨハネ9・1,6-9,13-17,34-38 今日の福音でイエス様は世の光について書いています。 イエス様は光を人間に与えます。 今日、イエス様は生まれつき目の見えない人を癒しておられます。 それは、見えない人を愛しているからです。 彼には何もありません。彼の両親が正しい人であったから癒されたのではありません。 しかし、イエス様は彼を愛しています。 彼の生活について考えると神様に初めて癒された日のことを決して忘れないでしょう。 彼は神様の恵みといつくしみを決して忘れません。 神様のいつくしみは彼の生活を支え、特に病気の癒しという恵みを与えてくれました。 そして、彼の生活、そのものが神様のいつくしみ への 感謝のことばになります。 私たちは見えない人と同じです。私たちも神様のいつくしみを必要とします。 私たちにも何もありません。しかし、イエス様は私たちの罪を赦しておられます。 それは、イエス様が私たちを愛しているからです。 ですから、私たちはどこでも、いつでも、神様の恵みといつくしみを証しする存在として、周りに置かれてい


《四旬節第3主日》
出エジプト記 「見よ、わたしはホレブの岩の上で あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」 ヨハネによる福音 イエスは答えて言われた。 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は 決して渇かない。わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が わきでる。」 今日は水について語られる場面。 水は洗礼につながっている。 またイエスの言葉を信じたのが サマリア人であったこと。 サマリア人の歴史的背景について。


《四旬節第2主日》
使徒パウロのテモテへの手紙 神の力に支えられて 福音のためにわたしと共に 苦しみを忍んでください。 神がわたしたちを救い、 呼び出してくださったのは ご自身の計画と恵みによるのです。 いつも神様の計画の中にあることを 忘れずにいることが 招かれた者としてのつとめ。
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