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復活節第三主日《ティエン神父》

ヨハネ21,1-19
今日の第一朗読で、ペトロは私たち「人間に従うよりも、神様に従わなくてはなりません。と力強く、意見を言いました。私たちは弱い人間ですから、時々、右を選んだらよいのか、左を選んだらよいのかと迷うことがあります。そのときこそ、静かに心を神様に上げて「イエス様教えてください」「イエス様のみ心を悟らせてください」と聞き入ることが大切です。「弟子たちが岸に立っておられるイエス様を見分けることができなかったように。。。」、私たちも、時々、一番近くにおられるイエス様が見えないことがあります。心配があるとき、苦しいときなど、一番大切なときに、イエス様を見失うことがあります。そのようなときにこそ、父なる神様は身近にいてくださって、手を差し延べて、支えてくださいます。皆さん、どうぞ心を曇らせることなく、一番近くにいて、私たちのことをいつも心に留めてくださる神様に感謝しつつ、勇気をもって一日を神様におささげして生きて行きましょう。福音でイエス様は言われた。「船の右側に網を打ちなさい。そうすれば、とれるはずだ。」イエス様の言葉に従うとき、弟子たちはいろいろなことができます。*イエス様がいるとき、弟子たちはいろいろことができます。たとえば、魚がたくさん取れました。「153匹もの大きな魚でいっぱいであった。」と昔の時代は研究者たちは海の中で探しました。153種類の魚でした。弟子たちは漁を全部で取りました。意味は弟子たちは人々を漁をします。イエス様がいななら、弟子たちはなにもできません。たとえば、「弟子たちは出て行って、船に乗り込んだ。しかし、その夜は何も取れなかった。」イエス様は来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じように、された。」これはご聖体の秘跡の姿です。毎週の日曜日のミサにあずかるとき、私たちはイエス様の体をいただきます。私たちの生活は変わりましたか。神様は、私たちを選んだとき、たとえ、私たちが間違いや罪を犯したとしても神様が私たちを見捨てることは決してありません。もし、私たちと神様との間が離れてしまうことがあると、したら、それは、神様が私たちから離れていかれたのではなく、私たち人間のほうが神様に背を向け、離れようとしているときです。 

 
 
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