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《四旬節第4主日》ティエン神父より

四旬節第4主日A 2026

ヨハネ9・1,6-9,13-17,34-38

今日の福音でイエス様は世の光について書いています。

イエス様は光を人間に与えます。

今日、イエス様は生まれつき目の見えない人を癒しておられます。

それは、見えない人を愛しているからです。

彼には何もありません。彼の両親が正しい人であったから癒されたのではありません。

しかし、イエス様は彼を愛しています。

彼の生活について考えると神様に初めて癒された日のことを決して忘れないでしょう。

彼は神様の恵みといつくしみを決して忘れません。

神様のいつくしみは彼の生活を支え、特に病気の癒しという恵みを与えてくれました。

そして、彼の生活、そのものが神様のいつくしみへの感謝のことばになります。

私たちは見えない人と同じです。私たちも神様のいつくしみを必要とします。

私たちにも何もありません。しかし、イエス様は私たちの罪を赦しておられます。

それは、イエス様が私たちを愛しているからです。

ですから、私たちはどこでも、いつでも、神様の恵みといつくしみを証しする存在として、周りに置かれているのです。

私たちは見ることができます。これは神様の恵みです。

毎日、私たちはこのことを祈ります。

「イエスよ、私たちの目を開いてください。」と「先生、目が見えるようになりたいのです。」と

こう願います。どうしてでしょうか。

時々、私たち自身の生活は過ちがたくさんありますが見えませんでした。

しかし、ほかの人の間違いが少しでもあるとよく見えます。

時々、ある人はきれいな目ですが見えません。

たとえば、私たちは兄弟姉妹の生活の中ではたくさん苦しみと悲しみも、さびしさが見えませんでした。

そして、関心を示しませんでした。

何回も何回も、私たちは神様が私たちの生活の中にいるかどうか。見えませんでした。

時々、私たちは本当に見えませんでした。

しかし、時々、故意に見ようとしませんでした。ほかの人々と共に頑張りましょう。

今日の福音は私たちの生活についていろいろと反省させてくれます。

神様が私たちにくださる光は神様からの大切な恵みです。

ところが、私たちは時々このことを忘れています。

それに、私たちは目を持っていますが周りのすべての大事なことが見えるわけではありません。

もし、私たちが神様に目を向けなければ、私たちは自分の人生に対しての役割を果たすことができません。

多くの人は目を持っているのに、人生の意味を深く知りません。

彼らの精神は盲人のように何も見えないのです。

私たちは盲人と同じかもしれません。

たとえば、欲望や憎しみや傲慢など、これらは私たちに周りの良いことを見えないようにさせます。

そして、私たちの友達や人々を失礼に扱うかもしれません。  

このことをはっきり理解するために、私たちは見えない人を手本にして、神様の光を見るために、一生懸命祈ります。

神よ、私たちは見えない人ように、いつもあなたに祈ります。

「先生、目が見えるようになりたいのです。」と

「イエスよ、わたしを憐れんでください。」と言います。

私たちは罪人であり、過ちを犯す者、そして、心に病を持つもの。

ですから、私たちはいつも神様のいつくしみを求め、特に,ミサの中で、こう願います。

主よ、慈しみを私たちに。キリスト、慈しみを私たちに。

神よ、あなたが世の中にこられる日を忍耐して

待つことができるために私たちに謙遜を

教えてください。心の苦しみと痛みを癒し、

私たちを憐れんでください。アーメン。



 
 
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