《ティエン神父より 枝の主日》
- maydaytomo
- 3月28日
- 読了時間: 2分
受難の主日A (枝の主日)2026
マタイ27,11-54
今日から聖週間に入ります。
聖週間に私たちはイエス様の御受難に沈黙のうちに招かれています。
ゴルゴタの丘のイエス様の孤独の痛み、裸の恥、
そして皆の嘲りを受けることを私たちも心に深く刻むように招かれています。
イエス様は神の御一人子でありながら、自ら、苦しみを受けて、
私たちへの限りない愛を示されました。
福音で書いています。
「イエスが国民のために死ぬ。と言ったのである。
国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。」
*イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いています。
*愛の王と真理の王と平和の王そして仕えるの王です。
イエス様は政治家ではありません。しかし、世界を救いたいと望まれました。
皆さん、イエス様のことばは人間のことばが違います。
イエス様の考えることは人間の考えることを違います。
王であるキリストは人間の王様を違います。
人間の王様は宮殿があります。僕がたくさんあります。
しかし、王であるキリストは宮殿がありません。イエス様の宮殿は十字架です。
そして、皆さんの僕になりました。。。
それで、イエス様は何の王ですか。*
今日、大勢の群衆が自分の服を道に敷き、
また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。
そして、イエス様を喜んで迎えました。
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」と言いました。
そして、後でこの群衆はビラトの前に言いました。
「十字架につけろ、十字架につけろ、」
人間は弱いものです。ある時にはほめることがたくさんあります。ある時には悪いことがたくさんあります。
その時、イエス様はとてもさびしい、悲しいです。
こんにち、私たちはどうですか。
私たちは昔の群衆と同じです。私たちは枝と服だけを敷くことだはなくて,しかし、心も、体をも敷きしましょう。
それからイエス様を喜んで迎えます。そして、後で「十字架につけろ、」と言いますか。
私たちの生活はイエス様の言葉に従わない時、兄弟姉妹が嫌い時、これは「十字架につけろ、」と同じです。
もう一度頑張りましょう。
イエス様,時々、私たちはイエスのみ心に背いて、罪を犯してしまいます。
どうぞおゆるしください。私たちがみ心に適う者になりますように。
マリア様、ヨセフ様私たちのためにお祈りください。アーメン。





