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《ティエン神父より》年間第30主日

年間第30主日 C 

ルカ18,9-14


今日の第一朗読では私たちの生活のために教えられています。

15b「主は裁く方であり、人を偏り見られることはない。

16 貧しいからといって主はえこひいきされないが、虐げられている者の祈りを聞き入れられる。

17 主はみなしごの願いを無視されず、やもめの訴える苦情を顧みられる。

20 御旨に従って主に仕える人は受け入れられ、その祈りは雲にまで届く。

21 謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行き、

それが主に届くまで、彼は慰めを得ない。](シラ書35、15b-17;20ー21)

そして、今日の福音中でファリサイ派の人と徴税人について書いています。

ファリサイ派の人は自慢と傲慢そして妬みを持っています。自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、イエス様は次のようなたとえ話をなさいました。

「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。全収入の十分の一を捧げています。」11-12と。

「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。

『神様、罪人のわたしを憐れんでください。」13と。

そのとき、イエス様は皆さんに言われます。

「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者はたかめられる。」

皆さん、私たちの態度は時々ファリサイ派の人と同じことと思います。兄弟姉妹を軽蔑すること、差別することにもあります。そのとき、イエス様の態度はどうでしょうか。

反省しましょう。

だれでも罪人ですが。神様はまだ人間を愛しておられます。ですから、一人ひとりで神様の前と兄弟姉妹の前に謙遜にならなければなりません。自慢ではありません。

私たちはもう一度祈りましょう。

恵み豊かな神よ、私たちの信仰、希望、愛を強めてください。すべてに越えてあなたを愛し、約束された永遠のいのちを受けることができますように。

マリア様、私たちのためにお祈りください。アーメン。

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