復活節第5主日《ティエン神父》
- maydaytomo
- 5月17日
- 読了時間: 4分
更新日:5月18日
今日の福音は模範となるイエス様の愛と犠牲について教えています。
イエス様は私たちに、ご自分に、倣って互いに、愛し合うことを求めています。
「わたしはあなたがたに新しい掟を与える。互たがいに愛し合いなさい。」
「わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これは、わたしの掟である」とイエス様は言われています。
私たちの生活はどうでしょうか。イエス様の掟に従がいましょう。
最高の犠牲は、兄弟姉妹のためにささげることです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と教えてくださったように、
イエス・キリストは、その大きな犠牲を、本当に実現されました。「イエス様は私たちのために死んでくださったのです」。もし、だれかが、愛しているけれど、犠牲はささげたくないと言ったら、
その愛はうそです。そして、その人の愛は、言葉だけのものです。
私たちが、互いに愛し合わなければならないのは、天の父と主イエスが、私たちを、既に愛してくださっているからです。
「愛する者たち、神がこのように、私たちを愛されたのですから、私たちも、互いに愛し合うべきです。」
イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは、愛を知りました。だから、私たちも兄弟姉妹のために命を捨てるべきです」。と聖ヨハネは教えています。
隣人を愛するとは何の実現ですか。悪口をいわないこと、裁かないこと、妬まないこと、軽蔑しないことです。私たちは悪口を言ったことがありますか。
生活の中で、私たちには二つの義務があります。一つは神様に対して、もう一つは社会に対することです。社会の中で人間、兄弟姉妹と周りの人々がいます。
私たちはこの二つの義務を完成しなければなりません。もし、私たちが完成しないなら、私たちは過ちをおかすことになります。時々、私たちは社会だけについて関心を持っています。そのとき、私たちの義務はまだ完成しません。
反対に私たちは神様だけについて関心を持ちます。もちろん、それでは、義務
はまだ完成しません。
しかし、二つの義務を一緒に完成させましょう。
それで、周りの人たちが、互いに愛し合い、互いに犠牲を払うことができる。
その方法を探し求めるならば、私たちは救われるのです。そして、周りの人々が互いに愛し合うことを実現できるようにするには、私たち自身が犠牲を払う以外には、方法がありません。
つまり、私たちは、その人たちに、互いに愛し合うことと他者を愛することを教え、そして、私たち自身も、周りの人を愛することを実行して模範とならなければなりません。
イエス様が言ったのと、同じことを言えるように生活しなければなりません。
「天の父とイエスは、わたしを愛してくださっているのですから、わたしも、あなたたちを同じように
愛します。だから、あなたたちも、わたしがあなたたちを愛するのと、同じように、互いに愛し合あってください」。と言いえるように生活しなければなりません。
神様はいつも私たちを招いて「互いに赦し合い、愛し合いなさい。人のために自分をちょっと忘れて、ちょっと犠牲をささげなさい。そうすれば、あなたの隣人も、あなた自身も幸せになります」と
教えてくださいます。
互いに愛し合い、悪口を言わない、軽蔑しないこと、祈って、いい仕事とをします。これは神様のお望みです。私たちはこのことができますか。
私たちはだれでも愛するとき、いつもいい人になることを望んでいます。しかし、私たちはだれに対しても妬むとき、いつも悪い人になっています。
私たちの人々に対する愛は模範とならなければなりません。こうして、周りの人々は、
互いに愛し合う模範を見ることができるのです。
本当の愛は、火のように、人から人へと、燃え広がって、最後に、この世よは、愛の国になるのです。
イエス様は愛の火を、世に持っ来て、人々の心を燃やしました。この火が世に、燃え広がるように、
イエス様は望んでおられます。その火が燃え上がるか、否かは、私たちの心に、その火があるかないか、
また、周りの人たちに、その火を、伝えることができるかどうかに、かかっているのです。
互いに親切であることが大切だと思います。
生活には困難がたくさんありますから、私たちは互いのために祈り、助け合うことが大切です。
皆さん、私たちは互いに愛し合いましょう。
マリア様ヨセフ様私たちのためにお祈りください。アーメン。





