《ティエン神父より》死者の日
- maydaytomo
- 11月1日
- 読了時間: 3分
死者の日のミサ 2025
知恵書1-6.9;ヨハネ6,37-40
死とは神秘です。死んだ後、私たちはどこへ行きますか。どこにいくのか全く分かりません。しかし、神の言葉から分かります。
私たちの先祖、祖父母、両親、今、どこにいますか。
第一朗読で教えてくださいます。
「主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、
主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。」知恵の書3、9
そして、今日の福音でイエス様は私たちに約束されました。
「わたしのところに来る。わたしのもとに来る人をわたしは決して追い出さない」。私たちはこの言葉を信じましょう。
イエス様の約束されたとき、変わることがありません。
私たちの信仰、希望を変わることがあるか。
「わたしに与えくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」
「わたしを見て信じる者が皆 永遠のいのちを得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」。と
11月はは亡くなった人を思い出して祈ります。
私たちは死者の日のミサにあずかるとき、私たちの身分について考えています。人間はだれでも死にます。
いつか、私たちも死にます。しかし、だれも、その日と、その時とを知らされていません。ですから今から、準備しましょう。
これは、大切な必要なことです。しかし、長い間私たちは忘れてしまいます。
最後のことは何ですか。死ぬことです。天国です。
皆さんは最後のことについて考えたことがありますか。私たちの最後の目的を忘れないようにしましょう。
物質的なもの、たとえば、権力やお金や立派な家も最後の目的ではありません、それで、天国に持って行くことはできません。しかし、私たちの良い行いと、良い仕事だけを、持って行きます。
カトリック教会のカテキズムについて:もし、私たちは死んだとき、罪深い状態だったら、私たちは天国に入れません。それどころか、煉獄に入ります。それで、死んだ人は私たちの祈りが必要です。私たちは死んだ人のためにたくさん祈りましょう。
多分、私たちの両親や兄弟姉妹そして友人は今、煉獄にいるかも知れません。彼らは私たちの祈りとぎせいとミサに参加することが必要です。私たちの孝行が実現するため、彼らの永遠の幸福のために祈りましょう。
神様、私たちの生活の中で、過ちが、たくさんあります。どうぞ赦してください。そして、私たちの生活の過去、現在そして
将来のすべてを神様の愛に任せます。あなたは私たちの最後の目的です。私たちに謙った心を与えてください。
マリア様、私たちのためにお祈りください。アーメン。





