《ティエン神父より 待降節 第1主日》
- maydaytomo
- 11月29日
- 読了時間: 2分
待降節第1主日A 2025
マタイ24,37-44。
今日の主日は典礼暦の最初の週、待降節第一主日です。
待降節の意味、神様は来る、人間は待つ季節です。
ギリシャ語 Parousia: 来る ,ラテン語Adventus:来る。意味は救い主は来る。人間は待つ。
神様の愛は先に進んでいます。私たちは救い主を待っています。
待降節だけではありません。しかし、毎日の生活は救い主を待っています。
教会のカテキズムの中で学んだように。救いの歴史の中で、神様は二回世界に来ます。
一回は世界に来て生まれます。もう一回は最後の日に世界に来て救いの歴史を完成します。この二回はとても大切なことです。ですから、私たちはいつも神様のために準備して、その日を迎えます。
今日の第1朗読でイザヤ預言は書いています。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。」イザヤ2,4と書いています。
この時代は平和の時代です。国々は平和になります。戦争がありません。しかし、この世界には悲しい出来事がたくさん起こっています。憎みや欺き、そして、戦争があります。人々はまだ互いに愛し合っていませんから。神様はいつも私たちを招いて「互いに赦し合い、愛し合いなさい。人のために自分を忘れて、ぎせいをささげなさい。そうすれば、あなたの隣人も、あなた自身も幸せになります」と教えてくださいます。私たちがイエス様の心にかなうように生きるなら、
人間は兄弟姉妹として、本当に愛の中に生きることができます。
聖パロウは第2朗読で書いています。
[夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。主イエス・キリストを身にまといなさい。]ローマ13,12.14a
皆さん、毎年、待降節が来るたびに、私たちはイエス様を待ち望みます。イエス様によって、罪から解放され、救われるからです。私たちの生活はすべて恵みです。
神様の恵みが私たちの生活の中に来てくださる時です。楽しいときも、苦しいときも、成功も、失敗も、すべて神の恵みです。
私たちは、いつも、目覚めざめるとき、すぐ祈いのります。そのとき、神様が訪れて、救ってくださいます。神様の訪れは恵みです。それは私たちがよく準備して、迎えるとき、その恵みは、大きくなります。
この待降節に私たちは、もう一度神様の元に立ち返ります。赦しの秘跡を受けて、祈りと犠牲をささげ、ミサにあずかって、心の準備を整えて、イエス様を迎えます。主イエスよ、来てください。
マリア様、ヨセフ様私たちのためにお祈りください。アーメン。





